叱り方①

 先日、新規採用された先生に「叱ることができない」という相談を受けました。その先生はこれまで他人に対して叱ったことがなく、また怒ったこともないということでした。その話を受けて伝えたことをまとめたいと思います。

 

感情をコントロールする

子供が叱られるタイミングというのは、学校のルールや道徳、一般的な常識に反した時です。当然その時、大人は違和感や不快感を感じます。感じる度合いは人ぞれぞれだと思いますが、少なからずあると思います。

 

その時、感じた違和感・不快感を伝えるときに自分の感情をどの程度子供に伝えるかは、その内容によってコントロールしないといけないと私は考えています。

 

自身又は他者を取り返しがつかないレベルで傷つけるものであり、事の重大さに当該児童が理解していない場合は、『怒り』という形で子供に伝えます。傷つくのが心であるにしろ、体にあるにしろです。子供の心のガードごと破壊してしまいます。(その後の修復作業もありますが、それは次回以降に書きます)

 

逆に取り返しがつくものであり、視点を一つ与えることで間違いに気づけるものであれば、「考え方」という形で子供に伝えます。感情は極端に抑えますが、「真剣である」という雰囲気づくりは欠かしません。(「怒っている」時は配慮しなくても真剣さは伝わります)

 

両極端ですが、ケースバイケースで感情はコントロールします。子供に感情を伝えることは悪いこととは思いませんし、冷静に対応する場合にも「不愉快です」とはっきり言います。叱ることとは別件になりますが、人の感情を知ることも子供たちには必要なことだと思います。

 

需要なのはコントロールすること。激しい『怒り』を露わにするときも、頭の片隅に嫌に冷静な自分を置いておくことが大切だと考えています。

 

以前は親であれば、とにかく感情的になることも「あり」だと思っていましたが、今は親であっても冷静な自分を置いておくべきかと考えています。なぜなら、冷静な自分にはきちんと役割があるからです。次回はその冷静な自分の役割についてまとめたいと思います。